ケロイド

2019⁄07⁄04(木) 00:00
自分の行動、習性を客観的に見ようとしたときに
――仮に全力で反発していようが――やはり無視して通れないのは
自らの父親の存在なのではないか。 私はそう思っています。

ここ最近会社で働きながら かなり頑固だとかKYだとか
裏でたたかれる機会も相応に増えている――と自覚しておりますが
考えてみたらこの日記の上でも父親に対し常識がないと憤慨していることも多い
……なんて感じます。

親子の雑談の場で「そんなこと聞いてねぇよ」という発言が返ってきた、というぼやきやら
海外旅行の場で「クリスチャン専用」のエリアにずかずかと入り込もうとしたりだとか

――家族内のルールのみならず ここ最近のぎすぎすした社会情勢下では
殺されるきっかけとなってもおかしくないような経験を平然としてのけているのを
過去 個々の日記の中では指摘したこともあったのですが……

……最近 自分の行動を振り返っていく中であながちこのこと笑えないな、
と考えることがあるわけです。

一応 この類の話題が出てきたときには「反面教師にしてやる」などと
発言しているのっぴぃさんではあるものの どうやら二十台も後半に差し掛かり
自分が思っている以上に頑固に、狭い世界観にとらわれ始めている模様。

なんとなくその気があることは自覚はしているのですが 具体的に自分の何の行動が
世間一般的に見て浮いた行動であるのか、ということまでは自覚していない私ですので
案外 最近距離を置いている父親との行動について 他人から見てみれば
全く違いない、血はあらがえない、そんな風に映っているのかもしれません。



そんな父親に対しては学歴にしても 学生時代に積み重ねてきた経験
――サークル活動等――に関しても そこで培ってきた人脈等に関しても
……大方すべてにおいて勝っている、と自信を持てるものはありません。

昔は多少浮いていても受け入れられるような世界であったのか
そもそも父親が生きてきた世界と現在の世界では人脈の作り方が違うのか
……どうにもこのあたりに答えがあってほしい、と願う自分もいるわけですが。

そろそろここいらの現実について改めて考え直さなければならない時期に
差し掛かっているのではないか、と考える今日この頃です。

父親の劣化版として。

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