帰納的①

2019⁄03⁄25(月) 00:00
どうせ誰も見ていないのだから 自分で気が付いたことを定期的に
(今の)自分がわかる程度の文章力で書いてみたいと思う。

……で 時たま過去の自分が何を書いていたのかわからなくなって困惑すること。
……あると思います(←ねーよ)

自分自身の得意な思考回路について。

――の前に 軽くそもそもの「考え方」として「帰納」と「演繹」ってあるけど
それについて軽くまとめてみようかと思う。

とっても雑に書いてみると帰納というのが何か目の前にある現象に対して
これが起こるためには何が必要なのだろうという考察を重ねていくこと。

それに対して演繹というのが理論を積み重ねて積み重ねて積み重ねた結果
こんなものができるはずだ、ということを論じていく考え方。
――一般的にこの二つは相反する視点に立った考え方……といわれることが多いかと。

例えば数学なんかは演繹的な考え方のもっとも足るもので
なるだけ少ない「定理」を積み重ねてこの世の森羅万象を論じていこう
――みたいな哲学じみたレベルにまで昇華させることもできる世界と聞きます。

……高校とかで習う「数学的帰納法」というのもぶっちゃけると
演繹的考え方の一派に過ぎないというこれでもかと「演繹的」に考える学問と言えそうです。

で ここらあたりから唐突に自分語りに移るわけですが
そもそも私が大学六年間をささげてきた地学というものは
今考えてみてもまれにみるほど帰納的思考に基づいた
学問だったんだなぁという印象があります。

――数学とはまるっきり逆ですね。

そもそもこの学問というのは「発見」というのが学問を進めるための大きな原動力
――それこそ最近話題のはやぶさ2とかもそれにあたるわけですが――
といえるわけでして 逆に発見がなければ何も始まりません。

……もう 結果待ちの学問といって差し支えないでしょう。

で その目の前に転がってきた「結果」を前にして
あれでもないこれでもないといろいろと考えを巡らせる。

……私が少なくとも学生時代すべての集大成としてやってきた学問ってこんな感じかなって。

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