見送る人②

2018⁄02⁄22(木) 00:00
私が今まで経験してきた葬儀というものは基本的に
身内とか親戚とかがいっぱい集まったものであって
正直な話「貴女誰ですか?」という人と肩を並べて
ひたすら度胸を聴く、といったものだったように記憶しています。

一応 葬儀というもの自体は私も神戸に来てからだけでも三回目。

……この年代の人間としてこれが多いペースなのか否かに関しては
ちょっとよくわかりませんが ある程度の見送りは私もやってきたのかなと思っています。

まぁ 父方母方の違いによるものなのかもしれませんが 今回の葬儀は
いわゆる家族葬というやつで 集まった方々を私はしっかり把握できた点は
何というか「肩ひじ張らずにいい意味でリラックスできた」のかもしれません。

ついでに 私が見知った度胸ともまた違うな~  といったところも感じられましたし
このあたりで両親の宗派の違いというのも感じた気がします。

……まぁ、基本的に「新年には神社で初もうでをし、クリスマスには適当にワインを開け」
みたいな 無宗教の至りのような我が家ですので別に
この宗派が違うから~  って 大きな問題にはなりはしないのですが。

仮に私が明日ぽっくり云っていきなり葬儀で送られることになったとしても
何の宗派であってもささげられるありがたいお経の意味を意味を理解できない自信があります。

あと 祖父の法名のほうもうかがってきたのですが――これに関しては少々
ツッコミを入れたくなった部分があったりなかったりしたのですが
下俗な私にはわからない意味があるのでしょう、ということで。

何より祖父の新しい名です。 祝いましょう。

ひとまず 実家のわんこをペットホテルに預けて(愛犬は大暴れしたらしい)
両親ともに関西へやってきて粛々とセレモニーを続けましてお通夜は終了。

翌日 読経を再度頂き、棺を焼き場へもっていき、焼く。

淡々と書かせてもらいましたが、心の中に渦巻くものはいろいろありますが
やっぱりこれくらいしかブログに書くことはできませんよね。

まぁ あえてブログネタっぽく不満を書かせてもらうと 最後骨壺へ納める際に
担当してくださった方がかなり肝っ玉な感じで事務的になされていたことにいろいろと不満。

……しっかり頭蓋骨も残り、最後の顔を拝む機会があったというのに
早々に顎、砕かれてしまいましたし、のどぼとけさまもあまり見せてもらえませんでした。
……この点に関しては私、結構まだ後悔というか腑に落ち切っていない部分もあります。


やっぱり 身近な人が逝去し、葬儀を終え、骨になって出てくる瞬間。
――それぞれで何とも言えないような感情にかられます。

残った私たちは――せめて、去った人に対し早く見せたかった光景を
せめてまだ魂がこちらに残っているうちにやり遂げることができるように
いろいろと動いていくべきだったりするのかなってちょっと思います。

まともな社会人になって見せる、だとか、早く家庭を作る、とかね。

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