コミュ障

2020⁄05⁄22(金) 00:00
最近誰かと会話するようなことがない、友達と遊ぶようなことがない。

こんなことをぼやいておりましたのっぴぃさんですが
そんな生活を続けておりますと人間関係を構築するために必要な技術というのが
当然のように欠落するようでありましてそのあたりのお話。

さて 人間集まると当然のように発生しなければいけないセレモニー。
それが 会話であれ手紙・メールなりの文章であれ「コミュニケーション」というものです。

この中には「自分の現状を伝える」であったり「相手の状態を知る」という目的。
そして それをどのように伝えるか、という「手段」を選ぶという能力。
相手との情報認識の差を知り、どこから伝えるかを「現状把握する」という能力。
最後に、そもそも自分が伝えようとする内容を今伝えていいのかどうかを判断する「察する」という能力。

まぁ 細かく定義すればその他もろもろ。 コミュニケーションと一言で言っても
それをそつなくやり遂げるためには様々なスキルが必要になってきます。

ところで 日ごろから運動をしない人間の筋力がだんだんと衰えていくのと同様。
ここ最近自分でも嫌というほど感じるのが「この手の能力、学生時代より低下している」という間隔です。

まぁ 日ごろ誰とも絡んでいないのですから相手の言わんとすることを
察するなんて夢のまた夢の話ですし昨今の判断基準が見事に欠落している。

会話のキャッチボールがどんなふうに流れていくのを予測するというのも
――なんか 今までに比べてより困難になっている感覚があります。

私が現在唯一コミュニケーションをしなければいけない場というのが
会社での立ち居振る舞いだったりするのですが メールを打つ際にも
自分の立場をわきまえたうえで自分が力不足で手伝ってほしい内容を
正確なタイミングで正確な方法、必要最低限でかつ、過剰でもない情報を添えて頼む、
みたいなコミュニケーションが見事にできなくて苦労しています。

挙句の果てには 他所からお願い事を基本イエスマンで答えていたならば
自分のところに積まれた仕事や見積もりが悲惨なことになって
結果 見事に割り振られた仕事量をさばききれなくなる、
みたいなことが現在進行形で発生したりしていてもう大変。

しかも こんなできの悪いコミュニケーションしかできていないのに
このコミュニケーションを重ねるだけでゴリゴリとメンタルすり減っていくのだから
成果を出さないけど体力が持たないという自分自身で考えて「残念な」仕様に
本日も頭痛が収まらない状態だったりします。

まぁ 逆に言えば「ここまで重症化するまでさほどこの点気にしていなかった」
という現状から この手のスキルの下地がそもそもなかった、という
悲しい現実もまぁ そこにはあったりするのですがそれはさておき。

やっぱり 日ごろの運動習慣がつかなければ筋肉が付かないのと同様
前にも書いたような気がするけど誰かとコミュニケーションを疲れずにできる場、
というのを何とかして見つけていかないといけないのかもしれませんね。

TOP