いっぱいと個人

2019⁄04⁄05(金) 00:00
人との付き合いというのは私にとっておそらく
死ぬまでついて回る大きな問題なのかなと感じます。

例えば会社のほうで新年度に替わったということで
開かれた飲み会のようなものに顔を出してみるじゃないですか。

……どうせ若い者なのだから 少しでもこのような場所に出て
顔を売っておくのは悪くないはずだ、などと考えたりしながら。

すると 私は全く認知していないのに向こうから
とっても良く見知った顔としてやってくるという展開があったり。

――同じように過去行われた飲み会に顔を売りに行こうとして
しゃべったはいいものの完全に私の記憶からは忘却していたんだな……
とか 酷な展開をそこで察したりするわけですよね。

昔から人の名前と顔を覚えるのは苦手で
数こなさなければできない→少しでも数を増やしておこうと
こんなことをやってみると結果的に残念さを際立たせるという
これは完全な空回りコースということになるんでしょうね。

盗撮や尾行じみたノリで無効に認知されないようにこっそりと
人を覚える場があったら何とかトントンといったところなのでしょうが
普通に考えてもそれ、ただの犯罪です。



一対一での付き合いでもいろいろとやらかしていることがあります。
――原因考えてみたけど確証とったわけではない。 でもしゃべる。

結構私 「この人はこう考えてそうだ」と決めてかかって
何につけても動きを決めている、もしくはパターン化させようとしている
一種 人の心をどこかに置き忘れたようなコミュニケーションをしているようです。

先日もこの手のコミュニケーションでお近づきになれそうな流れ(体感)を
自らぶった切ったなんて愚かなことをしでかしていましてね。

なんというか 年を得るにしたがってこの手のコミュニケーションが
どんどん不得手になってきているような気がして焦っています。

特に後になってから盛大に反省することは多いのですが
その経験を「とっさに」適応することができていないというのが
少なくとも今の私にとって一番の問題です。 何とかならないものか。

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