三木線後・弐

2015⁄11⁄14(土) 16:00
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下石野駅から三木市内のエリアは
廃線跡が遊歩道調になっているので
それ伝いに歩いて様子を眺めてみようと思います。

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そして まずたどり着き増すのが石野駅。

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構内の一部は民間に払い下げられてしまったようですが
駅舎などは当時のまま残されています。
――が 積極的な保存がされているのかは怪しいところ。

駅構内の軌道は残されたままですが そのおかげで前後の遊歩道は切られており
単純に歩きにくくなっているのみならず 残された軌道の方も
全く手入れされていないので荒れ果てている惨状。

……レール残すなら残すでよかったと思いますが
それがギリギリ見える程度まで砂で埋めてしまうとか
「この駅も遊歩道の一つの施設」という形での保存が
成されていたならば まだ 違う未来があったのではないかとすら思えてしまいます。

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旧西這田駅。 この施設の柵の所に手すりが
外向きについているのが見えますか?
――これが 駅のホームに向かうためのスロープに
取り付けられていた手すりです。

逆に言えば 駅の施設として残っているのが
これだけのようですね。
遊歩道としての開発を行うに当たり
ほかの施設は撤去されてしまったようです。

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旧別所駅。 この駅の前後でも
駅舎は軌道が残されていました。

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その影響で前後の遊歩道が途切れてしまっているのも同様。
――しかし、石野駅よりはまだ 荒れ具合は進んでいないように見えます。
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そして 駅前には三木線のことを示す石碑が。

列車が走らなくなっても当時のことを
偲ぶ人はいらっしゃるようです。

そのあたりを知ることが
できるだけでも少々ほっこりしますね。

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旧高木駅。 こちらは線路こそ残されていませんが
ホーム他の設備がそのまま残されており当時をしのぶことができます。

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運賃表などがそのまま残されているのはかなり珍しいかも。
駅舎が残っていた駅の中の掲示も
あらかた剥されていましたからね。

「痴漢は犯罪です」みたいな
啓発ポスターみたいなのはそのまま残っていましたが。

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三木線跡・壱

2015⁄11⁄14(土) 00:00
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三木線のそれぞれの駅があった場所(だと思われる場所)に関して
逐一画像残してみましたので そのあたり
ちょっと真面目に書き込んでみようかなと思ったので。

全体を写した地図みたいなのも――転載したら持って来れそうですが
どうも そのあたりちょっと面倒くさいことに
なりかねないので遠慮しておきましょう。

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厄神駅。 加古川線も通っている。
そのホームの向かい側にかつて三木線が入っていた。
ホーム脇では線路は撤去されていたが近くの踏切あたりでは
まだ残されており 当時をしのぶことができるだろうか。

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旧国包駅。 線路も駅舎もホームも解体されており
ホームの盛り土が主となったこんもりとした山だけが
そこに駅があった痕跡を除かせているだけのようにも見える。

旧線は車のショートカット道として
使うのを避けるような柵はあったりするが
地元の人のちょっとした道のように使われているようにも見えた。
――あとは ガレージのように車停めてあったりね。

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旧宗佐駅。 Wikiの画像と見比べて
みた限りだとこの辺りにあったらしい。

残念ながら今残ってる痕跡のみで
駅の存在を懐古するのは難しい。
ホームも完全に解体されており、
そのつくりも土を積み上げたような
形式ではないため国包駅のように
その名残が残るということも無い。

ここから次の駅へは加古川市と三木市との境に存在し
徒歩で訪れた私はここで先へ進むのに「危険ではない道」を探すのに
かなりの時間を食う羽目になっていた。――トラック通る
路肩の狭い道をさすがにとぼとぼと歩く勇気はなかったわけで。

正直 廃線跡通って行けば一番早かったんじゃないかな。 この切り通し。

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旧下石野駅周辺。 こちらも駅舎を解体された
――のみならず 切り通しを抜けた先の土塁がバッサリと取り払われて
一種の生活道路のように使われてしまっていることもあり。

この路線の中で一番その場の空気を残していないエリアにあたるのでしょうか。

走っている当時に乗っていた、というわけでもないですし、ということで
正確な位置を撮影していないと思われますが……
――まぁ このエリアにはちょっと失望したとだけ言いましょうかね。

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